私にとって、癒やしとは「感謝」であり「恩返し」。
大樹の年輪のように、温かなご縁を紡いでいきたい
初めまして。
けーちゃん治療院 鍼樹(しんじゅ)代表の山本 けーちゃんと申します。
私が鍼灸・マッサージの道を志すようになった原点は、14歳の秋に発症した目の病気と、絶望の中で私を支え続けてくれた家族や周囲の人たちの温もりでした。
鍼灸科の学生時代、帰省した実家で無口な父の肩を揉んだときに言われた「気持ちいいよ、ありがとう」の一言。そのとき溢れ出た涙とともに、「この手があれば、支えてくれた人たちに恩返しができる」と気づいたあの日から、私の施術家としての歩みが始まりました。
その後、企業専属のマッサージ師として約10年間、毎日ひたむきに働くデスクワーカーの方々と向き合ってきました。
その中で痛感したのは、決まりきったマニュアル通りの施術ではなく、お一人おひとりの身体の声に静かに耳を傾け、指先でわずかな微差を感じ取り、さらには指圧だけでは届かない深部のコリへ「鍼」でアプローチすることの大切さです。
「鍼(はり)は痛そう、少し怖い」というイメージをお持ちの方も多いかもしれません。
私の願いは、最小限のシンプルな刺激で、鍼本来の「心地よさ」と「奥深さ」を知っていただくこと。そして、神社のご神木に触れたときのように、身体の奥底からふっと力が抜けるような休息を、あなたのいる「いつもの場所」へお届けすることです。
一鍼一鍼、一押し一押しに感謝を込めて。
日々頑張るあなたが、また明日を自分らしく笑顔で過ごせるよう、誠心誠意サポートさせていただきます。
施術者プロフィール
| 名前 | 山本 けーちゃん |
|---|---|
| 出身地 | 群馬県 |
| 生年 | 1996年生まれ |
| 性格 | のんびり / 穏やか / ポジティブ |
| 保有資格 |
はり師・きゅう師国家資格 あん摩マッサージ指圧師国家資格 |
趣味・好きなもの
鍼樹が生まれるまで
突然現れた黒いモヤと、家族がくれた無言の優しさ
私は群馬県で、優しい母と、無口で背中の大きい父、7つ上の姉と弟の5人家族の中で育ちました。実家でアジアからの留学生を受け入れていたこともあり、人に教えることが好きだった私は、将来「日本語教師になりたい」という夢を抱いていました。当時、視力は1.5あり、まさか自分が目の病気にかかるとは夢にも思っていませんでした。
異変が起きたのは、中学3年生の10月。家のリビングでソファに座ってテレビを見ていたとき、ふと片目を閉じると、視野の真ん中に黒いモヤのような斑点(中心暗点)があることに気づきました。その2ヶ月後にはもう片方の目にも同じ斑点が現れ、病院で祖母と同じ遺伝性の病「レーベル遺伝性視神経症」だと判明しました。視力は0.03ほどまで低下し、メガネやコンタクトでの矯正も効きません。
目の前が真っ暗になり、夜に1人で泣く日々。「周りに迷惑ばかりかけてしまう」と落ち込む私の隣で、7つ上の姉は何時間も相談に乗って一緒に泣いてくれました。無口な父は、私が段差につまずかないよう、階段のふちにそっと蛍光テープを貼ってくれました。志望校の受験では試験問題の文字が見づらく悔しい思いもしましたが、家族や友人、先生方の温かい支えの中で、私は群馬県立の盲学校(視覚特別支援学校)へ進むことを決めました。
「教える夢」を胸に、東洋医学と手技の世界へ
盲学校の高等部(普通科)に入学した当初は、少しずつ広がる中心暗点への不安もありましたが、手厚いサポートと同じ境遇の仲間たちに囲まれ、次第に前を向けるようになりました。
視覚障害の世界では、卒業後は「三療(あん摩マッサージ指圧・はり・きゅう)」の道へ進むレールが自然と敷かれています。最初は「お決まりの道に進むのはどうなのだろう」と葛藤したこともありましたが、私はこう考えを切り替えました。
「もともと教えるのが好きで日本語教師になりたかったのだから、今度は三療の先生(教員)になればいい」
その新たな目標を胸に、高校卒業後は東京の筑波大学附属視覚特別支援学校(鍼灸手技療法科)へ進学し、上京することになりました。
「癒やしとは、感謝であり恩返し」だと気づいた1年生の夏
東京の学校では、もともと好きだった生物学につながる生理学や、先人たちの偉大な知恵が詰まった東洋医学の概念に衝撃を受け、モチベーションの高い仲間や留学生たちと切磋琢磨する充実した日々を送っていました。
そして1年生の夏休み、久しぶりに群馬の実家へ帰省したとき、私の中で一生忘れられない転機が訪れました。
授業で習いたての技術を披露しようと、「お父さん、ちょっと肩を揉ませてよ」と声をかけると、父は「そうかそうか」とリビングにあぐらをかいて座ってくれました。まだ1年生の拙い手つきで父の大きな背中や肩を揉み始めたとき、父が背中越しにこう言ってくれたのです。
——その一言を聞いた瞬間、心の底から熱いものがぐわっと込み上げ、私は涙をボロボロ流しながら無我夢中で父の肩を揉み続けました。
「これだ。この手があれば、今まで支えてくれたみんなに恩返しができる。」
その日から「夏休み中に50人マッサージするぞ!」と意気込み、友人やその親御さん、親戚など40名以上の方のお身体を夢中で揉ませていただきました。夏が終わる頃には、教員になるという夢はいつの間にか消え、「自分自身が直接、目の前の人に癒やしを届ける存在になりたい」という揺るぎない想いに変わっていました。
働き盛りの人々を支える喜びと、「鍼を届けたい」という情熱
3年生のときには池袋のリラクゼーションサロンでアルバイト修行を重ねました。20代〜50代の働き盛りの方々が日々懸命に働く姿に触れ、「頑張る人たちを少しでも支えたい」という想いから、国家資格取得後は企業の社内専属マッサージ師(ヘルスキーパー)として約10年間勤務しました。
一日中PCと向き合う方々の首肩や腰、骨盤周りの張り、足のむくみは想像以上に過酷なものでしたが、施術後に「これでまた午後も頑張れます」「マッサージルームがあるから会社に来たいと思えますよ」と笑顔で言っていただける時間は、私にとって何よりの喜びでした。
しかし同時に、ガチガチに凝り固まったお身体に触れるたび、「指圧だけではどうしても届かない壁がある。ここに鍼(はり)を打てたら、もっと効率的に、確実に楽にしてあげられるのに……」という強いもどかしさを抱えるようになりました。
「鍼の本当の素晴らしさと心地よさを、日々戦うデスクワーカーの方々にちゃんと届けたい」——その一心で覚悟を決め、在宅ワークの広がりや通院の負担を減らせるよう、出張専門の「けーちゃん治療院 鍼樹 – Shinju –」を立ち上げました。
「樹木」と「バーントオレンジ」、年輪のロゴに込めた想い
屋号やコース名、テーマカラー、そしてロゴマークの一つひとつには、
「東京で働く人々にとっての絶対的な癒やしでありたい」という願いを込めています。
ご神木のような「樹木」
私自身、大きな樹木が大好きです。神社のご神木の前に立ったときのような、身体の奥底から癒やされていく感覚と、植物が持つ「自然治癒力の象徴」として、屋号とすべてのコースに樹木の名を冠しました。
大地とマントルの色
ブランドカラーの「バーントオレンジ(#cc5500)」は、熟練・成熟・温かみ、そして地球の中心にある「マントル」や「大地」のエネルギーを表現しています。元気が出るのにどこか深く落ち着く、鍼樹の象徴色です。
広がる「樹木の年輪」
正六角形を三重に重ねたロゴは、神秘的な「樹木の年輪」を表しています。その年輪の一部からバーントオレンジの六角形が広がっていく姿は、感謝と恩返しのご縁が少しずつ広がっていく様子を描いています。
私の目(弱視)についてのお願い
ストーリーでもお話しした通り、私は現在も「弱視(視力は0.03ほどで、視野の中心が見えにくい中心暗点)」の状態にあります。
周辺の視野は見えているため、ひとりでの移動や日常生活、そして鍼やマッサージの施術そのものには全く支障はございませんのでどうぞご安心ください。
ただ、小さな文字を読んだり、細かな色の識別をしたりすることが苦手なため、お会計や端末操作の確認時などに少しお時間をいただいたり、お顔を近づけて確認させていただいたりする場面があるかもしれません。
その分、「目に頼らないからこそ磨かれた指先の感覚」と「お客様のお声に耳を傾ける姿勢」には誰よりもこだわりを持って施術いたします。どうか温かく見守っていただけますと幸いです。
あなたとお会いできる日を、心より楽しみにしております
お身体のお悩みやコースのご相談など、気になることがあれば公式LINEまたはWEB予約ページよりいつでもお気軽にお声がけください。